フリージャーナリスト・佐々木俊尚さんと一緒に世の中の既成概念について考えた記事が「LIFULL STORIES」にてアップされました。
「推しのいる人生」について考える
この記事は、期間中に「わたしがとらわれていた『しなきゃ』」をテーマに投稿されたブログから、佐々木さんが気になったものをピックアップして考察を伺うもの。選ばれたのは(1)推し活、(2)生活習慣の2テーマでした。
ひと昔前なら毛嫌いされていた”オタク”も今は市民権を得た……というか、逆に夢中になれるものがない人のほうが肩身の狭い思いをする世の中になりました。
佐々木さんは「推し」を応援する行為そのものが、自己充足や個人の社会的承認になり得るんじゃないかと考えています。
「推し」と一口に言ってもアイドルからアニメ、歴史上の人物、鉄道まで幅広いですが、ここでは「実在する人(有名人)」と定義します。
確かに、推しがいるから仕事を頑張れるという話はよく聞きますし、嫉妬や過度な期待が絡むとややこしいけど、画面越しに愛でたり、部屋にグッズを飾ったりすれば24時間いつでも自分で自分の機嫌を取れます。
経済も回るし、良いことづくめ。
なんですが……私個人としては、推し活「だけ」で本当に人は幸せになれるのかな?という意見を持っています。
受動的な趣味と能動的な趣味の違いは「成長」
以前インタビューした幸福学者・前野教授の意見が結構近いのですが、やはり幸せや充足感には能動的な行動がとても大事なのではないかと。
私にも推しはいます。推しが活躍していたら嬉しいし、ライブの開催が迫っていたら高揚感も覚える。けれど、逆に言えば推しが活動し続けなければ満たされない。人間だから、勝手に期待して勝手に落ち込むことはどうしても避けられません。つまり、ドラマ鑑賞などと同じで、自分ではコントロールしにくい、どちらかというと受動的な趣味だと思います。
一方、私のもうひとつの趣味であるフルートは、自分の努力次第でどうとでもなります。成長を肌で感じられるし、「自分にはこれがある」という自信になる。嫌な奴に嫌なことを言われても、心の中で「コイツ楽器も弾けないくせに」と思うとほんのちょっとだけ溜飲が下がる(笑)
目的もなく、ただ「好き」だから推しを応援する行為はもちろん素晴らしいんだけど、仕事はつまらないし友達もいない、推しだけが唯一の支え……となっている状態でその人が引退したらどうするんだろう?と思うとちょっと怖いですよね。また次の推しを見つけるのかもしれないけど。
まとめ
受動的な趣味はイマイチで能動的な趣味が素晴らしいと言いたいわけではなく、自分の人生の「柱」は一本じゃないほうがいいよ、という話でした。
ただ性格や推しの対象にもよるのかもしれません。私はドライなので、いくら推しが楽しそうにしていたからといって「でも別に私の人生には何の影響もないしな」と思ってしまいます。
いずれにせよ、推し活を通じて新しい分野に興味を持つ、外に出かける、仲間をつくる、SNSで発信してみるなど、ほかの行動に転じることができると、確固たる軸ができるのではないでしょうか。